四月二日

気づけば桜の開花もピークを超えて、春の陽気はピーカンで、おれのアクセラは黄砂にまみれている。

 

この歳になって「なっしーさんが何かしょうもないことを言っている」などと思われたくもないので、エイプリルフールも未遂に終わった。

 

実に平凡な四月の始まりに今度は東京へバスに揺られている。おれの座席は前節から最終列のアンドレの隣になったので、こうして落ち着いて記事を書くことができる。本を読んでも気が散らないし、飽きたらバスの中で流れている映画を眺めてもいい。わりと気に入っている。

 

夕べ見たYouTubeの中で、こんな会話があった。男女の二人組が竹下通りを歩いている中、男の子がマクドナルドに入りたがり、相手の女の子が「マックなんていつでも食べれるやん」と呆れていた。何の変哲もない、平凡なありふれたやりとりだと思う。

 

では、マクドナルドに限らず、例えば女の子とデートをしている時にファストフードを食事として選ぶことがそこまで咎められることなのだろうか。たしかにマクドナルドは日本中、おそらく世界中でも手軽に見つけることのできるファストフードチェーンで、現代人にとっては特別感やありがたみは感じにくい場所かもしれない。

 

だがそれは、自然発生的に起こった出来事なのか?そこらに自生しているタンポポが勝手に種を飛ばして、種の存続を図るように、各種ファストフード店はあちこちに建ったわけではない。もともとアメリカで発祥したハンバーガーショップが、独自のレシピと戦略で日本へ進出を果たし、各店舗の商品品質の改善、業務態度などもろもろの企業努力の結果、日本のどこでもマクドナルドのハンバーガーは食べられるようになった。その努力と結果は決して蔑まされるようなことではないはすだ。「所詮マックでしょ?」などと言っている場合ではない、マクドナルドがすごいからここまで店舗が増えたのだ。マクドナルドは自生しない。戦略と努力で今の居場所を勝ち取ったのだ。その点で、マクドナルドは他のレストランよりも優れた食事を提供できるレストランである。数の多さは特別感の欠如ではない。魅力的な食事を日本の至る所で安価に堪能することができるというサービス能力の高さだ。こんな贅沢が他にあるか。

 

ここまで書くと、マクドナルドでハンバーガーを注文することにもはや誇りすら感じないか。大きく頷いて納得してくれる人もいることだろう。

 

それでもやはりファストフードなんて嫌よ、なんて言われてしまうデートもあるかもしれない。

そんな理屈が通用しない女の子を相手にするときはこんな言葉をかけてあげるのがよいだろう。

 

「君との時間の中に、君以上に特別なものは存在しない。たとえナゲットをかじっている時だって、君となら最上の時間を作り上げることができるんだよ」と。

 

これできっとイチコロだ。

 

 

久しぶりにこんなくだらないことを書いたもんだ。

だが、悪い時間じゃない。

 

 

要するに、現在のおれはこんなことを考えるくらい、程よく精神的に健康だということなのである。