一月十五日

「夜行は天竜峡で生き返ったな」
そう思いながら埼玉県に向かっている。


明日は金沢武士団の最初の試合があるのだ。
その会場である浦和へ向けてバスに乗っている。久々の長距離移動と知らぬ間に積み重なっていた疲れで腰も痛くなってきた。


長距離移動をしながら読書をすると、いろいろな発想に出会うことがよくある。普段の変わり映えのしない生活の中ではそんな余白はないから、これはひとつ儲けものだった。


天竜峡の中で、岸田の作品の成り立ちが露わになった。岸田の作成する銅版画はおそらくそこまで精密なものではないのだろう。自身の中にある「夜」とサロンで仲間から聞いた話が合致したときに、新しい「夜行」は生まれるらしい。つまり、岸田はその話の中に登場したものしか描くことはできない、写真をなぞるように書いた模写ではないということになる。


佐伯が、「芸術とは魔境だ」と表現したのも印象的だった。魔境とは、佐伯に言わせれば、世界を悟ったと自覚した何者かが、本当は別の何かに化かされて抜け出すことのできない闇に陥ってしまったようなものらしい。たしかにそうなのかもしれない。現実に存在しないものを己のフィルターを通して世界の真実としてこの世に現そうと躍起になるのは、側から見れば何かに取り憑かれているようにも見えるだろう。そんな作品ほど魅力的に映るのも事実だとは思うが、とても斬新な見方だった。


私の仕事はどうだろうか。
今没頭しているこの仕事もまた、魔境なのだろうか。

 

十二月十五日 (2020)

「これから二時間後に現地で集合してください」


そう言われて最も良い時間の使い方はなんだったのだろうか。
翔太は会議が終わるなり、白いマフラーを首に巻きつけ肩に鞄を引っ掛けるとどこかへ飛び出して行ってしまった。たまには付き合ってくださいよ、なんて言うもんだから、この時間を使ってコーヒーでも飲ませてやろうと思ったのに。
外に出るのが寒くて億劫だからビルで待っていようと思ったけれど、今度は松多姉妹に連れ出されて街に出た。かんなちゃんははるちゃんとあてもなくウロウロするようだったが、どうせならおれは本屋で時間が潰したかった。
平積みにされた今年の「このミステリがすごい」で“巴里マカロンの謎” が40点をつけられているのを見つけて悲しい気持ちになった。今年で一番面白かったのに。本を戻した後にしばらく本棚を眺めて回った。やっぱり文庫を持ってくるんだった、「夜行」の続きを読んでしまいたかった。
「四畳半タイムマシンブルース」もまだ文庫化は先だろうし、欲しい本の宛もないままなんとなく「今さら翼と言われても」を手に取った。
そうか、これには「長い休日」が載っていたっけ。助かった。


どこの本屋に行っても、必ず米澤穂信は読むことができて、どこでも本を開けば折木奉太郎と会うことができる。やっぱり落ち着く。二人の掛け合いは読んでいて心地よいし、荒んだ心を引き止めてくれる気がする。飾り気も下心もない同調は、一言で傷を優しく包み込む。


「折木さん、かなしかったですね」


最高だ。まんぞく。


そろそろ忘年会に行く時間になる。会場の住所を確認しておこう。
今夜はイタリアンて言ってたっけ。

十二月十四日(2020)

今日は冠奈ちゃんがタイミングよく練習に来てくれて助かった。
朝は高畠さんのストレッチをこなし、練習もリハビリ、治療共に順調、問題なく博人のMRIにも付き添うことができて、スケジュール上でのストレスが少ない日だった。完璧だ。
おまけに連絡が遅れていた明日の写真撮影まで滞りなく受理されて、なんて良い日だ。何事もなく、何事もこなせるということがこんなにも幸せだとは。
今日はきっとウエイトをしよう。心が健康だから、調子もいいはずだ。最初はできるだけ厚着をして始めよう。暑すぎるくらいで丁度良い。


練習後の話に関していえば、大地はまだ子供だ。でも彼なりにチームを良い方向に持っていきたいと思っていることは伝わった。あとは厚みが欲しい。
貴はどうだろう。いつも通りの調子だったが、聞いている側からすればやはり自己顕示の色が強いように感じてしまう。人望を集めるには少しまだ薄いか。
デラさんの話は難しすぎた。チーム全体を、特に若手の方向修正を狙ってはいるが、彼らは話の内容は理解していないだろう。
ヒロは、伝えたいことはあるが、それが正解なのかどうか迷っている。


強いチームを構成する要素が何なのか。
それは高い水準での安定感だと思う。プレーにしろ私生活にしろ、揺るがない厚みが強さの象徴であると考える。厚みのある強い心と体、それが合わさるところに強いチームはできると思う。
しかしそれはどうやって作るのか?うちで作るにはどうしたら良いのか?誰が中心にいればそれは成り立つのだろう。


今のサムライズでは大地を中心にチームを作るしかない。大地の成長がきっと鍵だ。今の状況は大地のせいではないが、これから強くなるかどうかは大地にかかっていると思う。
月野さんと翼さんはタイプは違うが、二人とも厚みのある人だった。頭にくることもあったが、言うことを聞くことに疑問はなかった。そのマインドがおそらく必要なのだ。


おれは博人にいい情報を流そう。
そしてそれを大地に伝えさせる。そのルートが一番スムーズに雑味なく伝わるだろう。


まずは選手だけのハードルを組めるか、観察してみよう。