二月十九日

シャーロックホームズシリーズはミステリというよりは、冒険譚だと言う話を聞いたことがある。

 

主人公のホームズにはワトソンという医者のパートナーがおり、ホームズの活躍はワトソンの語りによって描かれていることが多かった。

 

ふたりの掛け合いは実に効率的で、ホームズの先進的な考えや推理を、ワトソンが会話やモノローグの中でフィルターを通し、わかりやすい形で読者に伝える形式となっている。

 

仮にこの関係をホームズ/ワトスン関係と名付けるとすると、これは我々の実生活の中で大変有意義に捉えられるものだと感じた。

 

そもそも我々は、知らず知らずのうちにホームズ側の人間になりたいと思っているはずだ。自分なりの考えを持ち、自分の動きたいように動き、自分の正しいと思っている言葉を発する。それが人としての欲のひとつだろうから。

そして、いずれのホームズも自分にピッタリなワトソンを求めているのだ。自分の話を愚直に聞いてうなずき、自分でも知り得ない人間性までも包み込んでサポートをしてくれる人間を求めている。

 

これは友人関係というよりは、社会的主従関係の中で成立しうる現象で、自分と上司、自分と部下の関係性を確認するときに使えそうだ。

 

自分が普段仕えている上司は、自分のホームズたり得る人間だろうか?先進的な考えを持ち、大胆な行動力と、素早い判断ができるだろうか。

逆に部下はどうだろう、ホームズとしての自分の考えをよく理解して噛み砕き、情報として落とし込めているだろうか。

そんなふうに身の回りの人間関係を見直してみると、実に面白い。そしてそうすることで、本当に自分に必要なパートナーが見えてくる気がする。

 

誰しも必ず、誰かのホームズとなり、あるいはワトソンとなり得る。そしてその力を正しく発揮できれば、成功へと近づいていけるのではないか。

 

バーティーウースターとレジナルドジーヴスのような関係性もあると思うが、あれはきっとレアケースで、バーティーは世の中に腐るほどいるだろうが、ジーヴスのような人間を探すのは至難だろう。

 

世の中、ホームズの振りをしている阿呆は多い。自分の無能さを棚に上げ、欲を満たそうとしている間抜けに仕えている暇などない。

おれはワトソンとして、ホームズを間違えない。

 

 

まぁ、それとあれだ。

 

おれになかなか友達ができないのはきっとこの考え方が根底にあるからだ。

 

きっとそうだ。難しく考えすぎちゃってるんだな。

 

そうだよな?

 

そうに決まっている。

 

 

 

そんなことを考えていた朝練習だった。

午後には愛知に向けて出発する。