三月二十六日
バスに揺られながら岡山へ向かっている。
花粉はつらいが天気はよろしい。
車内ではアパルトヘイトを題材にした映画が流れているけれど、なんだか映画を見る気分でもないから記事でも書くことにした。
古典部シリーズの中に「長い休日」という短編がある。
「やらなくてもいいことならやらない。やるべきことは手短に」
主人公、折木奉太郎のモットーだ。氷菓を読んでいた時なんかは、人間性がわかりやすく現れた良い表現だな、なんて思っていた気がする。だが「長い休日」の中ではその言葉の真意というか、なぜ彼がそんなことを言い出したのかということをテーマに話が展開されている。
奉太郎は今でこそ、省エネ主義の効率主義。『ものぐさが服を着て歩いている』だなんて言われ方をしているが、幼少期の頃はなかなかのお人好しだったらしい。
頼まれた事を断らない性格だった彼は、ずっと自分のしていることを人助け、人の道に沿った正しい行いだと疑わなかった。
けれどある日のできごとをきっかけに、その考えは逆転する。自分は利用されていたのだと。奉太郎くんならきっとやってくれる。嫌な顔もせず、文句も言わないだろう。誰かがやらなくてはいけないことを、自分も気づかないうちに人助けだと思いやらされていたことに気づいたとき、彼は心に決めた。
「やらなくてもいいことなら、やらない」
そうして、もう都合よく人に利用されまいとする、彼なりの信条ができあがった。
おれは米澤先生のこういう深い心情描写が好きだ。言葉の端々に隠れているえぐみのある感情や真相が表に現れたとき、えも言われぬ感情になる。
この話を読んでから、自分はどうなのだろうかとよく考える。都合の良い人は、当然周りから必要とされる。しかしその人は本当にそうあるべきなのだろうか。アテにされることを喜ぶのは愚かなことではないのか。頼りにされることと、アテにされることは違うのだろうか。違うとすれば、その線引きはどこですれはよいのだろうか。
やるべきことというのは、意外と少ないのではないか
窓の外は時折トンネルに入り暗くなる。
バスはしばらく到着しそうにない。